タイ舞踊の歴史
コーンの歴史
仮面劇コーンの発展
仮面劇コーンを演じる機会
仮面劇コーンを構成する種々の楽器
 朗誦と語り
仮面劇コーンの鑑賞の仕方
仮面劇コーンとラーマキエン物語
コーン(仮面)、ラーマキエン物語、シーダー姫の火渡り

【タイ舞踊の歴史】
総称して「ナータシン・タイ」(タイ舞踊)と呼ばれているタイの舞台芸術には次のものがある。
 1.コーン(ラーマキエン仮面舞踊劇)
 2.ラコーン(新古典劇)
 3.ラバム(集団舞踊)、ラム(一人舞踊)、フォーン(北タイ舞踊)
 コーン仮面劇は楽器の演奏に合わせて踊るもので、弁士の朗詠や歌によって踊りが進行する場面もある。
 コーン仮面劇はタイ独特の舞台芸術で、昔のチャックナーク・ドゥクダムバン(招龍儀式)、ナンヤイ(影絵芝居)、クラビー・クラボーン(闘技)などに由来するものである。元々は、役者全員が顔を隠すように頭からすっぽり動物の仮面をかぶっていた。そのせいでコーン仮面劇においては役者に代わって声を発する人物を必要としたが、そうした人物をタイ語ではコン・パーク・チェーラチャー(弁士)と読んでいる。出演者はこの弁士の朗詠や歌に合わせて踊ったり、挙措動作を行っていたようである。後になると、コーン仮面劇には発展をとげて人間の男女が登場するようになり、神々や天女といった登場人物は先の尖った頭冠を着用、頭からすっぽり面をかぶるのは夜叉や猿といった配役だけとなった。それでも弁士が踊り手に代わって朗唱するやり方はずっと続いている。
 タイには昔から多くの種類の舞踊が存在したが、今日でも変わらず人気のある舞踊は「ラバム・ラム・テン」の名で親しまれている。これらの踊りの特徴は以下の通りである。
 1.ラバム(集団舞踊)  演技者が集団で踊る芸術で、男神・女神踊り(ラバムチュット・テープブット・ナーンファー)、女神メーカラーと阿修羅ラーマスーンの幕前踊り(ラバムブークローチュット・メー)などがある。地方で演じられるラバムには、フォーンと総称される北部タイ踊り(カーンラーイラム・ベープタイヌアがある。たとえばフォーン・ムアン、フォーン・マーンムイ・チエンター、フォーン・レップ(爪踊り)、フォーン・ティエン(蝋燭踊り)、フォーン・ダープ(刀踊り)などである。
 2.ラム(一人舞踊)  一人踊り、二人踊り、楽器演奏に合わせた踊り、武器を持った踊り、台本に合わせた踊りなどがある。昔はラバムと呼ばれたこともあることから、「ラム」もまた主演男優、主演女優、その他の登場人物で演じられた舞踊劇であったことが分かる。
 3.テン(躍動舞踊)  音楽に合わせ足をあげて踊るもので、テン・セン、テン・コーン(ラーマキエンの猿踊り)などがある。

【コーンの歴史】

ラーマキエン仮面舞踊劇のコーンは国王の即位大典儀式で演じられたナンヤイ(影絵芝居)、クラビー・クラボーン(闘技)、チャックナーク・ドゥクダムバン(戦場での招龍儀式)に由来するものと思われている。そのため、コーンは様々な芸術が結合した総合芸術となっている。

「クラビー・クラボーン(闘技)」が発展したコーン
 人間には誰でも闘争本能がある。それはタイ人でも同じである。タイ人の闘争意欲には古代から強いものがあり、各種の武器の扱いにも慣れていた。戦争がないときにもタイ人は武器を扱う訓練をたゆまず続け、互いに武器扱いの技量、身のこなしのすばやさ、防御法などを競い合っていた。その結果、剣の構え方、足運びなどの様々な技が生み出された。訓練ではたとえば大股でのし歩くときや武器を手にして舞う際、動作にリズムを与えるために笛や太鼓が鳴らされた。こうして生まれた戦争の武技の様々な舞いが兵士や男たちの学ぶところとなり、後に、種々のお祭りで民衆が楽しむ娯楽へと発展したのである。昔の影絵芝居ナンヤイで人形を操った人々もまた芝居の戦闘場面で踊るような身ぶりをまねた。それで影絵芝居の動きも後にコーンに取り入れられた。仮面劇コーンには挙兵や戦闘の場面の舞いがあるが、それはクラビー・クラボーンやナンヤイの踊りの発展したものである。

 影絵芝居ナンヤイが発展したコーン
 影絵芝居は影絵人形を操る芸術で、タイ式楽団の奏でる音楽のリズムに合わせて人形を動かし、そこに弁士の語りが加わる。これはコーンでも同じである。つまりコーンにおいても弁士による語りや歌唱があり、タイ式楽団の音楽に合わせて踊る。従ってコーンはナンヤイが発展したものであることが分かる。

 チャックナーク・ドゥクダムバン(招龍儀式)が発展したコーン
 即位大典儀式を記したアユタヤー時代の王室典範には、王宮前広場の中心に須弥山(プーカオ・プラスメーン。神が住む想像上の山)や他の山が作られ、獄吏には阿修羅の、小姓には神々や猿の格好をそれぞれ100人づつさせ、別の小姓にはそれぞれスクリープ(ラーマキエン物語に登場する猿将)、パーリー(同)などの格好をさせて仮装行列を作り、阿修羅には龍の頭を動かし、神々や猿には龍の尻尾を動かす招龍儀式を行ったとある。こうした理由で、仮面劇コーンはチャックナーク・ドゥクダムバン儀式の仮装行列を取り入れたものであることが分かる。 

【仮面劇コーンの発展】

コーンは種々の表象芸術を取り入れてより良く改良したものである。たとえば踊りや衣装は昔よりずっと洗練されたものになっている。初期には即位大典儀式でのチャックナーク・ドゥクダムバン(招龍儀式)のように、おそらく広場などで演じられていたものが、後になって「コーン・クラーンプレーン」(広場コーン)と呼ばれるようになったものと思われる。その後さらに発展するとコーン仮面舞踊劇のために舞台が設置されるようになると、「コーン・ナンラーオ」(座って観るコーン)とか「コーン・ローンノーク」(野外舞台コーン)と呼ばれるようになった。この時は歌唱はなく、楽器演奏と弁士の語りだけだった。その後もコーン劇は改良が加えられて発展し、名称も以下のように変わっていった。
   1.コーン・クラーンプレーン(広場コーン)
   2.コーン・ナンラーオ(座って観るコーン)
    (コーン・ローンノーク 野外舞台コーン)
   3.コーン・ローンナイ(宮内コーン)
   4.コーン・ナーチョー(幕前コーン)
   5.コーン・チャーク(幕物コーン)

 1. コーン・クラーンプレーン(広場コーン)
 コーン・クラーンプレーンとは舞台などを設けず、広場の真ん中の地面の上で直にコーンを演じるもので、主として挙兵や戦闘の合間に演じられた。その際に演奏された音楽は、役者の動作を表現する曲のみであったと思われる。脚本も朗詠と語りのみで、歌唱はなかった。コーン・クラーンプレーンの上演記録で最も大きいのは1976年に行われたが、それはプラパトムボーロムチャナカーティラート王の遺骸を奉る祝典の席で王宮側がラーマ軍を演じ、前宮側が敗北を認めないトッサカン軍を演じた。その結果、両者の間で本物の争いが起こり、祝典の後も王宮側と前宮側の仲違いは互いに戦争準備に入るまで続いた。この時、王姉であるソムデットチャオファー・プラヤーテープスダワディー殿下とソムデットチャオファー・クロムプラシースダーラックの2人は両者の調停役を務め、その結果、争いはおさまって旧に復した。
 2.コーン・ナンラーオ(座って観るコーン)
  (コーン・ローンノーク 野外舞台コーン)
 コーン・ローンノークは舞台で演じられはするものの、観客用の椅子はなく、舞台の周囲に手すりがあるだけである。幕の前には役者が出入りする穴があいていた。舞台には屋根がかけられ、役者は自分の演技が終わると元の場所に戻って座った。高位の者には台座や椅子があったと思われる。朗詠と語りのみで、歌唱はなく、楽団の演奏はクラーオナイ、クラーオノーク、クックパート、トラニミットなどと呼ばれる伴奏曲が演奏されただけだった。この時期のコーン劇では伴奏曲が最も多く演奏された。従って楽団には2つがあり、1団は舞台の上手に、別の1団は舞台の下手に位置していた。このため両者はウォンフア・ウォンターイまたはウォンサーイ・ウォンクワーなどと呼ばれていた。コーン・ナンラーオにはもうひとつ別の上演のやり方があって、それは「コーン・ノーンローン」(夜通しコーン)と呼ばれていた。これは午後の時間帯に2つの楽団が景気づけのために音楽を華々しく演奏することで、仮面をつけた役者たちは舞台の中央でその音楽に合わせてリズミカルに棒を叩いた。演奏が終わると、ラーマキエンの夜叉ピラープが森で動物を捕食し、ラーマ王子がピラープの根城に攻め込む場面が演じられた。その場面が終了すると休憩に入り、一晩を舞台で過ごし、翌朝、また仮面劇を続けた。それでコーン・ノーンローン(夜通しコーン)と呼ばれたのである。
 3.コーン・ローンナイ(宮内コーン)
 これは従来のコーンにラコーンナイ(宮内劇)とその踊りが結合したもので、コーンの朗詠や語りとラコーンナイの様々な歌や動作を伴った歌、それにラバム。ラム、ゴーンが混じったものである。国王と宮廷詩人が劇にふさわしい美しい言葉を用いて朗詠用の台本や歌詞を作った。さらに演技を精密なものに改良した。後にはラコーンナイと同様に宮廷内の劇場で上演されるようになったので、コーン・ローンナイ(宮内コーン)と呼ばれた。
 4.コーン・ナーチョー(幕前コーン)
 ナンヤイ(影絵芝居)の幕の前で演じられたコーン劇のことである。通常、ナンヤイを上演する歳には柱を建て、白い幕をピンと張る。その4本の柱には孔雀の尾羽と赤い旗または象の旗が掲げられ、幕を美しく彩った。それから粗布を用いて出入口をこしらえ、その上を屋根形に装飾した。たとえば幕の一方にはトッサカンの居城であるロンカー城を描き、もう一方にはラーマ王子の御野立所を描いた。後になるとナンヤイの幕の前に舞台を作り、その舞台でコーン・クラーンチェーン(野外コーン)を演じた。ナンヤイを上演しない時にも舞台や幕をコーン用に使用したので、コーン・ナーチョー(幕前コーン)と呼ばれるようになった。コーン・ナーチョーは後世になると演じ方がコーン・ローンナイと同じようになり、芸術局はコーン・クラーンチェーン(野外コーン)の種々の演じ方をまねて今日まで継承してきている。
 上述した4種のコーンは段落や数幕に分けて演じられる物ではなく、一貫して連続していて、観客の方が自ら段落を区別していた。
 5.コーン・チャーク(幕物コーン)
 コーン・チャーク(幕物コーン)はラーマ5世時代ころ、ドクダムパン劇に似せてコーン劇を幕物に分けたことで生まれたと考えられる。そのことを初めて実行した人物はソムデットチャオファー・クロムプラヤーナリッタラーヌワッティウォン王子であるといわれている。上演方法もドクダムパン劇と同じであったが、ただしコーン・ローンナイ(宮内コーン)のやり方で行われ、カップ・ローン(歌唱)、カブワンカーン・ラム(集団舞踊)、ター・テン(躍動舞踊)、楽団演奏などが一緒に演じられた。幕は物語中の事件や内容毎に設定された。そのせいでこの種のコーンをコーン・チャーク(幕物コーン)と呼ぶようになった。芸術局が改良したこの種の幕物コーンは1946年以降、定期的に国立劇場で市民に公開されている。                  

 【仮面劇コーンを演じる機会】

コーンを演じる機会については、昔のタイ国王は、コーン劇は王位を象徴する御物のひとつであると認識していた。そのため、以前はコーンを王宮外の民衆が所有するのを許さなかった。その後、高級官僚がコーン劇場を持つことを認めるようになり、以前のように禁止することはなくなった。このため高級官僚の間では名誉のためにコーン劇団を持つことが流行った。こうしてコーンが広まると、仮面劇コーンは寺院での祝典、出家式、潅頂式、ソンクラーン祭、新年祝賀式などの様々な機会に演じられるようになった。現在では、一般社会では葬式の際にだけ演じられることが多い。

【仮面劇コーンを構成する種々の楽器】

ピー(笛)
特徴:口と舌を使う吹奏楽器で、パー・ナイ、ピー・クラーン、ピー・ノークの3種類がある。硬い木で作り、途中が膨らんだ長い筒状をしている。膨らんだ部分に6個の穴が開けてある。リードを用い、吹くときはこれをくわえる。その時、舌が濡れているとよい音が出る。リードはパーム椰子の葉で作る。中部タイでよく用いられるのはピー・ノークとピー・ナイの2種。ピー・ノークは小さいので高い音を出し、ピー・ナイは大きいので低い音を出すのに適している。一般に最もよく使われるのはピー・ナイの方である。
由来:ピー・ナイの起源は古いと思われるが、マホーリーと呼ばれるタイ式楽団でピーパート合奏用としていつ頃から使われ出したのかは不明である。
よく使われる県:主に中部タイの各県。他の地域で使われることもある。
演奏の機会:常にある。他の楽器との合奏に用いられる。
良く演奏される曲:すべてのタイの楽曲。
ラナート・エーク(高音木琴)
特徴:打楽器。音板は竹または硬い木で、21?22枚を使う。それぞれの音板は紐で結ばれ、船形の甲板の形に順序よく並べられる。船の内部は空洞で、床とは中央下部の台座のみで接しているので、音がよく反響する。音板の裏には錫入りの蜜ロウが塗ってあり、音の高低を調整する。スコータイ時代にはそのことをパートと呼んでいた。
由来:スコータイ時代以降。単独あるいはピーパート合奏、タイ式楽団合奏で用いられた。
よく使われる県:主に中部タイの各県。他の地域で使われることもある。
演奏の機会:常にある。
良く演奏される曲:中部タイの伝統楽曲およびタイの楽曲。
ラナート・トゥム(低音木琴)
特徴:打楽器。ラナート・エークに似ているが、サイズは小さく中央下部の台座もない。音板は竹または硬い木で、16?18枚を使う。ラナート・エークよりも低い音が出るので、ラナート・エークと並列して使われることが多い。頭部を布で包んだ2本の叩き棒を用いる。
由来:ラーマ3世時代以降にラナート・エークと合奏するために作られた。
よく使われる県:主に中部タイの各県。他の地域で使われることもある。
演奏の機会:ピーパート合奏、タイ式楽団合奏でラナート・エークと並んで使われる。
良く演奏される曲:中部タイの伝統楽曲およびタイの楽曲。




タポーン(太鼓)
特徴:両面を叩く打楽器。中部タイの楽団ではとても神聖視されている大事な楽器で、くり抜いた木の両面に皮を張り、革ひもで縛る。表面には灰と砕いた米を混ぜたものが塗ってあり、それによって音がよく響く工夫がしてある。台座に置いて使うが、持ち運びように太鼓の胴に取っ手がつけてある。
由来:はっきりした起源は不明だが、相当古い時代から使われていたと思われる。
よく使われる県:主に中部タイの各県。他の地域で使われることもある。
演奏の機会:すべての機会。
良く演奏される曲:ピーパート合奏でよく用いられる。
チン(小シンバル)、チャープ(大シンバル)
特徴:チンは楽団による演奏で拍子をとるために使われる打楽器。合金製で小さな茶碗に形状が似ている。中央部はかなり厚めで、2個を繋ぐための穴があいている。
 チャープとチンと同じ打楽器で、リズムに変化を与えるために使われる。お皿の形をした金属製で、チンより薄い。大きさによりチャープ・レックとチャープ・ヤイの2種がある。
由来:スコータイ時代以降の古い歴史を有する。
よく使われる県:タイ国全土。
演奏の機会:すべての機会。
良く演奏される曲:すべての楽曲。


コーン・ウォンレック(ドラ)
特徴:打楽器。コーン・ウォンヤイ(大ドラ)と似ているが、それより小さく、音は高い。18個の小さなドラが並んでいて、裏には錫・蜜ロウが塗ってあり、それによって音を使い分ける。頭部を布で覆った1対の棒を使う。
由来:コーン・ウォンヤイ(大ドラ)以降に作られ、アユタヤー時代に好まれた。
よく使われる県:主に中部タイの各県。他の地域で使われることもある。
演奏の機会:ピーパート合奏、タイ式楽団の合奏でよく用いられる。
良く演奏される曲:中部タイの伝統楽曲およびタイの楽曲。ただし、ルーク・コーンといわれる基本のリズムを演奏するだけ。
クローンケーク(太鼓)
クローンケークは高い音と低い音の2面があり、皮製の面は、紐で木製の胴体に固定されています。2つで1対で、様々な音楽に合わせて演奏されます。
 インドネシアやマレーシアの影響を受けて、アユタヤ時代からタイ中部を中心に伝わっている太鼓です。




クローンタット(太鼓)
クローンタットは堅い木の胴体に水牛の皮を張って釘で留めて作った太鼓です。
歴史はスコータイ時代からと古く、ラーマ1世の時代から2つで1対の形となり、それぞればちで高い音と低い音を出すようになりました。
タイ中部を中心に伝わるこの太鼓は、楽団内でリズムの核として演奏される以外に、別名「時を告げる太鼓」と言われ、僧の11時の食事の時間を知らせる時に使われます。

【朗誦と語り】

コーン(宮内劇と合体する前の)では物語の進行に合わせて絶えずカム・パーク(朗誦)やカム・チェーラチャー(語り)が入る。物語のナレーションであれ役者のセリフであれ、あるいは役者の感情表現や行為の表現であれ、すべてはこの朗誦や語りによって行われる。コーンの役者は昔は全員が顔に仮面をかぶっていた(滑稽役を除いて)。そのため役者は自分で声を発することができなかった。そのせいで朗誦や語りを行う熟練の人物が生まれ、コーン劇の中で重要な役割を果たしたのである。

仮面劇コーンの鑑賞の仕方

一般に人間の行為はそのほとんどが感情や思考に由来する。たとえば何かを考えると、その考えのように行動する。時には、悲しいときだけでなく喜ぶときにも涙を流すように、人間の行為は、正反対の表現をとるときもある。ただ、これらの行為は非常に強い衝撃を受けたときの人間一般の行為ではあっても、常にどの民族にも当てはまると言うわけではなく、人間による意味伝達の普遍的な原則であるとまでは言えない。特に身体による表現ではそうである。
 実際のところ、人間は身ぶり、手ぶりと言った身体表現を発達させ、ことばに代わる意味伝達の手段として使ってきた。人間は日常生活で獲得した身体表現を記憶しているので、歳をとっても物腰はしっかりしていたりするのである。
 意味の伝達に使われることばは、話ことばや書きことばや若者ことばのほかに手話など多様である。そうした中、人間の身ぶり、手ぶりを使って意味を伝達可能にしたものが舞踊のポーズ(ターターン)である。見た目に美しく、心を躍らせるこうしたしぐさは、初めは特定の集団だけで受け入れられていたが、しだいに民族レベルの舞踊(タイではシラパカーン・フォーンラムと呼ばれる舞踊芸術)に発展していったのである。仮面劇、舞踊、芝居を含む他の舞台芸術もみなそうである。
 人間は知識を得る上で、他のどの神経よりも視神経をよく使う。そうして得た情報を人間が伝える手段、それが舞踊のポーズや(ターターン)スタイル(リーラー)なのである。従って、舞台上の演技者の動きは、それがどんな形であれ、受け手に理解できるものでなければならない。話ことばに頼れない表現の場合は特にその点が重要である。こうして、仮面劇や他の舞踊劇では、それぞれの舞踊のしぐさが何を意味しているかを学ぶ必要が出てくる。
 仮面劇や舞踊劇のことばは、舞台上で動かす身体のしぐさやポーズそのものである。この場合の身体とは、頭、顔、肩、腰、足といった胴体部と腕である。腕は上腕、下腕、てのひら、指から成る。このうち、指のしぐさではウォン(指で円を作る)、チープ(指同士をすぼめる)といった動きを詳しく学ぶ必要がある。指以外の重要な箇所に関節がある。関節は大腿部と下肢、くるぶし、指の結節点で、タイ舞踊ではリアム(角)と呼ばれる動きをする。このウォン、チープ、リアムの3つの異なった動作は、神々、女性、夜叉、猿などの動きを表現するとき、特に重要となる。
 こうして、タイ舞踊や仮面劇では、頭、指、足を含めた身体の全器官を自由に動かして美しいポーズをとる能力が必要とされるのである。
仮面劇コーンとラーマキエン物語

コーンではなぜラーマキエン物語だけが演じられるのだろうか。その理由は、コーンはラコーン・ナイ(宮内劇)として宮廷内のみで演じることを許された3種類の演目の一つで、しかも最も重要な劇であったからである。コーンの上演は大きな戦争の時に限られており、それに最もふさわしい演目はラーマキエンを除いてはなかった。ただし、時代と状況によっては他の演目がコーンとして演じられることもあったようだ。
 ラーマキエン物語にはタイ版、ジャワ版、インド版など多くのバージョンがある。中でもインドの場合は、何千年も昔から民衆の間で、ラーマーヤナ物語を読んだり、聞いたりすれば罪業が洗い流され、望みもかない、長寿が約束されて、死後も天界へ行けると信じられていた。ラーマーヤナはプラ・ラーム(ラーム王子)の物語である。物語の概要は、ある時、ウィシュヌ神が神々と人間を苦しめる夜叉を退治するために人間のプラ・ラームに変身して降臨されるというものである。インドの民衆はプラ・ラームをウィシュヌ神の化身として崇めるだけでなく、英雄、大徳を有する国王、両親に高い忠誠心を有する者、親族に深い慈悲を示す者、妻シーダーへの愛を守る夫、天界を統治する神々に平安をもたらした偉大な正法王として賞賛した。このラーマの栄光の物語は、インド人の間でもてはやされ、サンスクリット語とヒンディー語の世界で広まった。インド文明がインドシナ半島部のインドネシア、フィリピン、タイといった東南アジア諸国にまで伝播すると、インドの文化、文学、演劇がタイにも流れ込んできた。

 タイ版のラーマキエンには4種が知られていて、そのすべてが韻文である。

 1.トンブリー王本:宮廷内の舞台で演じる台本の一部を国王自らが執筆した。

 2.ラーマ1世本:最後までそろった完全版で、読んで理解できる目的で書かれた。

 3.ラーマ2世本:全編中、宮内劇として上演可能な部分、たとえばハヌマーンが指輪をナーンローンに献上した部分などをコーンの台本にまとめた。

 4.ラーマ6世本:舞台劇としてふさわしく、かつ限られた時間内に上演が終わることを念頭にラーマ2世本に手を加えたもの。また、本来は歌詞(ボット・ローン)だった部分を台詞(ボット・パーク)に直し、時間節約のために語り(チェーラチャー)を入れた。ただし、美しい響きを持つ表現はそのまま残した。そのほか、本来のインドのラーマーヤナ物語の進行に沿った形で物語を再編する意図もあった。

 ラーマキエンは、アヨータヤー国のプラ・ラーム王、弟のプラ・ラック、従者の猿将側の軍団が、夜叉の親族で固めたロンカー国王トッサカン軍団に戦いを挑んだ物語である。戦争の原因は、トッサカンがプラ・ラームの妻シーダーを自分の妻にしようと誘拐し、ロンカー国に幽閉したからである。プラ・ラームとプラ・ラックはこれを追跡する中で、2人の猿将(キートキン国のスクリープとチョムプー国のマハーチョムプー)を家来とし、2つの国から出陣した。やがて海峡を結ぶ道路を建設してロンカー国に攻め入り、陣地を構築してトッサカン軍と何度も戦闘を交えた。一進一退の厳しい戦いの後、最後は不正義の軍は正義の軍に敗北した。まさに善業善果、悪業悪果をよく表現した最高の文学作品といえる。

コーン(仮面)、ラーマキエン物語、シーダー姫の火渡り

トッサカン:夜叉王

 トッサカンは全身緑色で、1020腕を有する。ラッサティエン王とラッチャダー妃の長子であり、ロンカー国の第3代国王となった。モントー、カーンアッキー、サノムの3人の妃のほか、たくさんの側室を従え、1015人の子がいた。そのうちの2人が娘であった。性格は十正道とは逆に野蛮そのもので、心臓を身体から取り外すことが可能だったので、殺されても死ななかった。そのために正道を踏み誤り、プラ・ラームの妃を妻にしようと誘拐したせいでロンカー戦争が起きた。この戦争では多くの兄弟夜叉が殺され、最後には、仙人に預けていた心臓をハヌマーンが盗み出したすきにプラ・ラームが放った矢で死んだ。















パワナースーン:夜叉の将軍

 仮面の特徴:緑色をした夜叉の面。目と口に特徴があることからにパークサエ・タークローン(ギョロ目に嘲笑口)とかパークコップ・ターチョーラケー(ワニ目に歯ぎしり口)などと呼ばれる。瓢箪の冠頂をかぶっている。これとは別に、禿頭に金銀やビーズを飾り付けた仮面をつけることもある。身体は白色で、12腕。ロンカー国の総大将を務める夜叉であり、ラーマキエンの中では、トッサカンから挙兵、歓迎宴、来客の接待、国事の相談を受けるなど多くの登場場面がある。

シーダー:ラーマ王子の妻

 なめらかな白、または透き通るような白の身体で、王冠をかぶり、12腕。プラ・ラクサミー(吉祥天。ウィシュヌ神の妃)が変身してトッサカンとモントーの間に生まれた子で、イントラチットの妹にあたる。誕生後、占星術師が不吉と判断したため、容器に入れられて川に流された。チャノック仙人がこれを拾って土に埋めておき、修行後、美しい娘に成長していたシーダーをミティラー国に連れ帰った。後に婿取りのシン弓競技を催したところ、プラ・ラームだけがこの重い弓を扱うことができたので結婚し、アヨータヤー国に戻った。プラ・ラームが14年間追放されると、シーダーも連れ添ったが、トッサカンによって誘拐された。これがプラ・ラーム+猿軍団と夜叉軍団との戦争の発端である。敵を退治した後、父である夜叉チウハーとサムマナッカーを殺されたことに恨みを抱いていた娘のアドゥーンは侍女に化け、シーダーを騙してトッサカンの絵を描かせた。これに怒ったプラ・ラームはシーダーに死刑を命じたが、弟のプラ・ラックが逃がした。シーダーは森の仙人の保護を受けてプラ・モンクットを生んだ。また仙人はプラ・ラームのもう一人の子であるプラ・ロップを仙術で生き返らせた。後に非を悟ったプラ・ラームはシーダーに帰京を懇願したが、シーダーはこれを拒否した。最後に、プラ・イスアン(シヴァ神)が両者を

マホートーン:夜叉の将軍

 仮面の特徴:緑色の夜叉の面。パークサエ・タークローン(ギョロ目に嘲笑口)で、瓢箪の冠頂をかぶっている。別に、禿頭に金銀やビーズを飾り付けた仮面もある身体は緑色で、12腕。ロンカー国の総大将を務める夜叉であり、ラーマキエンの中では、トッサカンから命令を受けてプラ・ラームの死を見届けに行くためにシーダーの乗る車を用意するなど多くの登場場面がある。

ラーマ王子:神

 仮面の特徴:顔は鮮やかな緑色。国を治めるときは勝利の冠頂か尖頂の王冠をかぶり、森を進軍するときは先端がカーブした王冠か仙人の冠頂をかぶっている。アユタヤー国の第4代国王で、全身なめらかな緑色をし、12腕。ウィシュヌ神が変身し、トッサロット王とカオスリヤー妃の長子として生まれたものである。















ラック王子:神(ラーマ王子の弟)

 仮面の特徴:金色で、先がカーブした冠頂を持つ面。勝利の冠頂や王冠の尖頂をもつ面もある。修行中の場面では出家の冠頂や仙人の冠頂をかぶる。プラ・ラームの弟で、12腕。ウィシュヌ神の御物である玉座と法螺貝が変身して、トッサロット王とサムッタラチャーの間に降臨した子である。プラーラームが森に追放になると兄に従い、14年間敵の夜叉たちと戦いを繰り広げた。

インドラ神:神(帝釈天)

 仮面の特徴:神々の面は緑色で、冠頂(チャダー)の先端がカーブしている。
神々の住むアマラワディー国(善見城)の主であり、人間を助ける。ダーオドゥン(刀利天)の
4番目の大神で、父はプラ・カッサヤパテーパビット、母はプラ・アティット。別名にサハッサナイ、メークワーホン、ペットパーニー、マルットワーン、サックラ、マヘーンタラ、マッカワーン、アマリンなど夥しい名を有する。身体は緑色で12腕。ウェートヤンという天に住み、アイラーポットという名の3頭巨象(エーラワン)を乗物とする。騎手の名はマートゥリーである。ほかにウィサワカムという家来がいる。妻はスチットラー、スチャーダー、スタンマー、スナンターの4人である。ラーマキエンでは、トッサカンの子イントラチットに戦闘で負け、大事な武器(チャック。ギザギザのある円盤)を落としたことがある。











スクリープ:猿将

 仮面の特徴:口を開けた鮮やかな赤の面で、冠頂はカーブしている。
 伝説によれば太陽神とカーンアッチャナーとの間の子で、コードム仙人から呪いをかけられている。ラーマキエンでの重要な役割は、ラーマスーンが傾けたスメール山(須弥山)を元の位置に戻すことである。後にプラ・ラームに忠誠を誓い、パーリーに代わってキートキン猿国を統治した。ロンカー国との戦争では軍の指揮で常に力を発揮し、戦勝後にパヤー・ワイヤウォンサーマハースラデートの下賜名をもらってターラー妃を得、パーリーの死後に王位を継承した。

ハヌマーン:猿将

 仮面の特徴:口を大きく開いた顔で、白色である。頭髪や冠頂(チャダー)はなく、金飾りがついている。牙は宝石でできている。ほかに、ハヌマーンの仮面には数種があり、神通力を顕現するときは4種の面を使い分ける。通常は1種類の面で、後ろに3つの小さな顔がある。 服をまとうのはプラ・ラーム軍がトッサカンを騙す場面で、インタラチットが被っている先端が竹の皮製の曲がった冠頂をかぶる。ロンカー国を支配下においた場面では勝利の冠頂をかぶる。また、出家をする場面では仙人の冠頂をかぶる。そのほか、ラデンを埋め込んだ面もある。ラーマ1世本の劇詞ラーマキエンの記述では、ハヌマーンは虎年の3月火曜日に風神の子を身ごもった猿女サワーハの口から生まれた。16歳の子に匹敵する大きさで、48種に変幻できる神通力を持ち、あくびをすると空に星や月が出現したとある。耳と毛はダイヤモンド、牙は宝石でできている。
 ハヌマーンはプラ・ラームに忠誠を誓い、ロンカー国での戦闘では何度も重要な役割を演じた。戦勝後は貴族に叙せられ、プラヤー・アヌチッチャックルットピパッタナポンサーという下賜名でノッブリー国の王となった。正室のブッサマリーのほかにベンヤカーイ、スワンナマッチャー、ワーンリン、スワンナカンユマーを妻とし、スワンナマッチャーとの間にマッチャーヌ、ベンチャカーイとの間にアスラパットをもうけた。


オンコット:猿将

 仮面の特徴:山羊のようなすぼまった口をし、全身エメラルドグリーンか緑色である。冠頂(冠頂)は3つの弁に分かれている。オンコットはパーリー猿王とモントーの間に生まれた子で、仙人のオンコットが腹裂き儀式でモントーのお腹から取り出し、羊のお腹に入れた。 スクリープはプラ・ラームに忠誠を誓い、使節としてトッサカンがシーダー妃を返すよう交渉を行ったり、4人の夜叉の将軍を倒した。戦勝後はインタラーヌパープという貴族の下賜名でキートキン国の副王となった。